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フィクションです

ホットミルクをもう一杯

 15年と約半年。彼女が生きた年数だ。15年というと、生まれた子が中学校を卒業するまでの年数で、私にはまだとてつもなく長い時間のように思う。しかし、彼女と過ごした時間を振り返るとあっという間だったような気がして胸が苦しい。
 訃報を受けたのは今朝のことである。iPhoneから鳴り響くアラームを止めるために7時過ぎに目を覚ました。弟からのLINEの通知があって、表示されている文がすぐには飲み込めなくて、どう返事をするべきかしばらく迷った。迷いながらも、とにかく実家に帰らなければと思い連絡をくれたことについて礼の言葉を打ちつつパジャマを脱いだ。幸い、水曜は講義が3限からなのですぐに実家に行くと弟に伝えた。身支度をしているうちにじわりじわりと彼女が息を引き取る時にそばにいられなかったこと、年老いた彼女の世話を家族に任せきりにしてしまったことなど後悔の念が押し寄せてきて涙がこぼれた。
 脱ぎ着が楽な割にかわいくてお気に入りのワンピースは12月の朝には不向きで、家を出て一瞬で足元が冷えた。けれど空はよく晴れていて、暖房の効いた電車内は少し暑いくらいだった。車窓から、太陽の光を浴びて輝いているおだやかな川を眺めながら、この川はなんという名前だったっけと話す老夫婦の会話を聞きつつ、彼女のことを考えていた。もういい年で、足腰もかなり弱っていたし、少し前から彼女の体調がかなり思わしくないことを母親から聞いていた。覚悟はできている。何度も話していた。それでも、せめて私がゆっくり帰省できる12月後半まで持ってくれることを祈り続けていた。生きている彼女をもう一度撫でたかった。
 乗り換えをする大きな駅まで弟が迎えにきてくれた。私を心配してくれたそうだ。ありがたい。そして、2人でたわいのない話をしながら実家へ向かった。
 実家のドアを開けるとすぐにかごに敷き詰められたタオルの上で目をつむる彼女と、母がいた。初め、私がすぐに彼女に会えるよう寒い玄関先に彼女を連れてきているのかと思ったがすぐに彼女の身体がだめにならないようにしていることに気づいた。彼女はいつも通り寝ているだけのようにも見えたが、決定的に違うところがあった。彼女は舌が長いのか、いつも口からあざやかな濃いピンク色の舌がはみ出ているのだが、その舌がすでに黒っぽく変色していたのだ。彼女は息を引き取る直前もしっぽを振り、弟が名前を呼ぶ声にも反応したらしい。反応して、そしてすぐに動かなくなったそうだ。母が声にならない声で教えてくれた。私は彼女のお腹のあたりに置いてある小さな花束(母が急いでスーパーで買ってきたらしい)を少しだけどかし、ゆっくりと撫でた。撫でているうちになんだか彼女の体がまだ温かい気がして、本当はまだ生きているのではないかと思った。しかしそれは私の体温が彼女の毛に伝わっているだけで、彼女が死んでしまったという事実は覆らない。母と、弟と、3人で寒い玄関で静かに泣いた。
 朝ごはんを食べてこなかった私はテーブルに置いてあった抹茶オレと母が用意してくれたよもぎ餅の入った温かいぜんざいを食べた。そして2人から彼女の最期の様子を聞いたり、近況を話したりした。リビングの、今まで彼女のケージやベッドが置いてあった場所はもう片付けてあって不完全な感じがした。猫も心なしかぼんやりとした様子だった。そしてまた、彼女がいる玄関先で3人で彼女との思い出を語り合った。彼女はとても食い意地が張っていて、なんでも食べてしまう子だった。チーズ、いちご、バナナ、スイカ、ぶどう、肉、氷などなど。猫が残したキャットフードをあげてもがっついていた。庭で遊ぶ時はよくわからない草も食べていた。これはお通夜だねと3人で笑った。
 彼女は父によく懐いていた。悔しいが、家族の中で一番かもしれない。父が仕事場へ向かった後、彼女は息を引き取った。最後に見送りをしたかったのかもしれないねと話して、また泣いた。
 昼前くらいに実家を出て、大学へ向かった。猫にはこれから私が年末に帰省するまで家族を、特に母をよろしくなと、彼女には今までありがとう、またいつかどこかでねと声をかけた。
 1人で電車に乗って、次に実家に帰ってももう彼女を撫でることはできないという当然の事実に気づき愕然とした。彼女は年を重ねるにつれ抱っこをされるのを嫌がったけれど、抱っこをしたかったな、でも嫌がることを無理にするのもよくないしな、と後悔に力ずくで言い訳をした。
 彼女は15年と約半年、幸福な生涯だっただろうか。小さくて、かわいい顔をしていて、とてつもなく食い意地が張っていて、プライドが高くて少し気難しいところもあるけれど、やっぱりかわいい彼女のことが大好きだ。彼女にもっともっとできることがあったのではと後悔でいっぱいである。もっといっぱい彼女が喜ぶことをしたかったし、もっといっぱい一緒に過ごしたかった。私が、ちゃんとした立派な大人になるのを見守っていてほしかった。
 未熟な家族でごめんなさい。でも本当に大好きでした。今までありがとうね。これからも大好きです。