かわいいブログ

フィクションです

大学のトイレの個室で泣いてたら私をしばる呪いを発見した

 大学のある講義で、前期試験の範囲(というかこういうことを聞きますよ的な問い)を担当講師から口頭で伝えられた。何度か繰り返して伝えてくれたのだが、口頭ゆえに漢字の語義などの説明が入るおかげか今日の体調が最悪な私は文の最後までを書き写すことができなかった。わからなければあとで個別に質問に来いと聞こえた私は講義後、最後まで書き取ることができなかった旨を講師に伝え、教えてもらおうとした。

 講師の対応は私の予想とは異なっていた。私は、講師の「あとで個別に質問に来ないように」という発言を聞き間違い、質問に行ってしまったのだ。これは100%私の落ち度である。私は謝った。そこですぐに離れればよかったのだが、心のどこかで範囲を教えてくれるんじゃないかと期待していたのだろう、講師が私に投げかける言葉を聞き続けてしまった。

 講義には毎回ちゃんと出席したか? 出席していればすべてを書ききれなくてもなんとなくわかるだろう。他の人は質問をしていない、質問に来ないということはあなた1人だけみんなができることをできていないということだ。大学生なのだからちゃんとしてくれ。

 私はこの講義を今日までの全14回中1度休んでしまったけれど配布されたプリントは受け取っているし、講師の言いつけ通り講義中にスマートフォンをいじることも水分を摂取することもしなかった。毎月ランダムで行われる抜き打ちの出席確認の時は必ず記名をしてある。しかし100人以上受講者がいる教室で講師がそんなことを知るよしもない。私はもう1度すいませんと謝って教室を出た。悲しくてしかたなかった。

 女子トイレの個室は、私のように少人数、特に1対1でのコミュニケーションが苦手な人間にとって聖域である。私はそこでもう1度先ほどのできごとを思い返していた。鎮痛剤を飲んでも治らない頭痛と、めまいに加え心臓が苦しくなり涙がぼたぼたと流れた。自分のことながら泣くほどかと驚く反面、どこか冷静に「私だけが、みんなができることができない」と言われたことがとてつもなく悔しかったのだろうと思った。同時に、この言葉は昔から私をしばっていることに気がついた。

 私が怪しい精神科医発達障害だと診断されたことを抜きにしても、私は幼いころからとろかった。幼稚園の帰りのバスで周りが楽しそうに話している時でもバレエ教室の練習の時でも小学生のころに通っていた塾でも中学・高校に通う通学路でも眠っていた。親や教師などたくさんの大人たちから「あなたはやることが人より遅い」「どうして他の人はできることができないの」などと言われ続けた。がんばってやっても否定されるのが怖くなった私は、次第にがんばることが恥ずかしくなり、物事に真剣に向き合うのをやめた。まれに気が向いてがんばって、ほんの時々褒められても首を横に振った。本来なら、がんばったことを否定されたり結果が出なかったりしたら反骨精神とやらで今まで以上に努力して見返して成長していくべきだったのだろう。でも、私にはそれができなかった。自分は人より遅い、人ができることをできない、と周りの人間に言われた言葉で自分をしばりつけて行動を制限していた。だれかと関わる時も、私ってとろいからと先に自虐して逃げていた。人に遅いよとかできないもんねとか言われても笑ってごまかしていた。

 だれしも苦手なことの1つや2つくらいあるだろう。だからそれを過度に卑下する必要はなかった。できないことのなにが悪いんだくらい言ってやればよかった。そうすることを許せなかった、プライドの塊の私は、久々に「できない」ことを他人から強く指摘されて傷ついたのだった。そりゃあ遅いよりは早い方がいいし、できないよりはできた方がいいけれど、幼いころから周りと比べられすぎてしまった私の精神はうまいこと発達しないまま身体だけ大人になってしまった。

 そのことに気づくと涙は止まり、頭の中は妙にすっきりした。今から自分の性質を変えるのは困難だ。できない私はできないなりにがんばらなければならない。ただこれ以上私みたいな人間を作ってはいけないと思う。そんなことを考えて、周りの自分より年少の人々にいつもより優しく接した。

 

 先生、周りの人より劣っていてごめんなさい。でも私は改めて他の一般多数の人と少数の人を比べるような教育はしたくないと思いました。あとたぶん私の方が人にものを教えるのとか板書とかうまいと思います〜〜!!!

イルカをころした

 幼稚園・小・中学生のころ、よくうそをつくクラスメートがいた。彼女たちが悪意を持ってうそをつくことはほとんどなく、大抵は「私、イルカを飼っているの」とか「私はスイス語がしゃべれるの」とか、見栄を張るためのうそだった。

 

 イルカを飼っていると言っていた彼女とは幼稚園と小学校が同じで、幼稚園生のころに私にイルカを飼っている話をしてくれた。彼女が身につけているものからはいつも家族が吸っていると思しきたばこのにおいがした。

 私はべつに彼女の話を信じていたわけではなかった、と思う。それなのに信じているふりをしていた。いや、ちがうかもしれない。信じられないけれど信じたくて、そういうことをしていたのかもしれない。もうあまり思い出せないし、無理に思い出そうとも思わない。とにかく、私は彼女のうそに同調していたのだ。

 小学一年生になったばかりのときのことだ。小学生になりたてで給食で勝手がわからない私たちのために数週間、児童の保護者たちが配膳などを手伝ってくれたことがあった。その中には彼女の母親もいた。若くはないが、金色に近い明るい茶色の長い髪の女だった。私と彼女は出席番号が近かったため同じ班で給食を食べることになっていて、そこにもう一つ机をくっつけて彼女の母親も同じ班で給食を食べた。そこで私は彼女の母に言ったのだ。

「○○ちゃん家では、イルカを飼っているんですよね」

 彼女の母親は、初めこそ不思議そうな顔をしたもののすぐに「ああ、イルカのぬいぐるみのことでしょ」と返した。その日以降、彼女がイルカの話をすることはなくなった。

 

 彼女のうそをやめさせようというようなことは思っていなかった、と思う。ただ、ここで彼女の親にイルカの話をしたらどうなるだろうという好奇心はあった。結果、彼女の見栄をぶち壊すことになり、私は罪悪感でいっぱいになってしまった。

 

 彼女は恐ろしいほど勉強ができなかった。その上いつもたばこのにおいをまとっているのでクラスの男子からはあまり好かれていなかった。

 小学六年生のころ、私と彼女は何度目かの同じクラスになった。あるとき、席替えで私と彼女は近い席になった。算数の、分数の計算のテストが行われたときのことだ。公文式や中学受験用の塾、家庭教師のおかげで小学校の勉強でわからないことは特になかった私は、ふと彼女の空欄だらけの答案を見てしまい苦しくなった。なにか彼女のためにできることはないだろうか。そう考えた私は、担任の目を盗み彼女に答えを小声で教えた。男子にお前なにやってるんだよと小声でとがめられたが、やめられなかった。彼女は私が教えた、途中式のない答えのみを書いたテスト用紙を提出した。

 採点が終わった答案用紙が返却されたとき、彼女は担任に呼ばれていた。なにを話していたかは知らない。私は呼ばれなかったからだ。つまり、彼女は担任に私のことを伝えなかったのだ。担任は彼女が私か、他のだれかの答案をカンニングしたと思いこんでいるのかもしれない。私はまた、彼女に罪悪感を抱いた。

 思い返してみると彼女は私に怒ったことなど一度もない。怒ってくれればよかったのにとずるい私は思ってしまう。

 

 その後、彼女は地元の中学校に進学し、地元の定時制高校に四年通って、今は地元で働いているらしい。インターネットで調べた。

 彼女は私のことを覚えているだろうか。忘れていてくれたらいいと思う。私は彼女を一生忘れない。彼女の見栄と、自尊心をズタボロにしたことへの罪悪感を、一生抱きながら生きていく。

最後の夏(笑)

 今年の夏は「平成」という元号のうちにやってくる、最後の夏らしい。私が愛してやまないアホアホポンコツユルガバインターネットことツイッターでも「平成最後の○○」というキーワードはまかり通っていて心底うんざりする。

 私の物語の主人公は私だ。だから元号が変わろうがどうしようが、関係ない。2年前、私が20歳になるという事実のほうがよっぽど一大事であった。当然、歳を重ねることだって元号が変わるのと同様に生活が激変することはないということはわかっている。それでも、当時19歳の私は20歳になることに恐怖と焦りを感じていたのだった。

 私は毎年夏が本格的に始まるよりも前に歳をとってしまうので、10代最後の夏というものは同時に10代最後の始まりという意味もはらんでいた。とはいえ、1年後をはるか遠い未来のことのように思っていた私は10代最後の夏を特別意識することはなかったような気がする。20歳になる自分が想像できなかった。大人になってしまう自分を想像したくなかった。ただ毎日、先に大学に進学してしまったかつての友人たちの世界が広がっていっていることに対して、早く自分もなんとかせねばとじれったく思っていた。

 20回目の誕生日を迎えてから早くも2年が経とうとしている。環境や周りにいる人たちは変化したものの、私の根本的な考え方や感じ方はそんなに変わっていないように思う。たぶん14歳の、毎日なにかと戦っていたころと同じ気持ちでこれからも生きていくのだろう。最後の夏とか本当にどうでもいい。もううんざりだ。なにも終わらないし、なにも始まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……来年「今年はモラトリアム最後の年だ!!!」と1人で騒ぐブログ書きそうで嫌だな、来年までこのブログやってるか知らないけれども。とにかく、エモーショナルな薄っぺらい言葉に踊らされず、集団心理にゲロを吐き続けたいですね。

私は北条そふぃちゃんに恋をした

 今春からプリティーシリーズの最新作として『キラッとプリ☆チャン』が放映開始すると発表された。およそ4年続いたプリパラという物語は、3月でひとまず終わるということである。

 

 高校2年生のとき、土曜日の朝になんとなくつけたテレビで『プリティーリズム レインボーライブ』に出会った。その影響で、後続のプリパラのニュースも見た。そしてキービジュアルを見て、私はある少女に恋をしたのだ。

 姫カットのロングヘアはショッキングピンクで、ゴスロリを意識しているような黒と白と赤を基調とした衣装を身にまとっている。彼女は、北条そふぃという。当時、KERAやゴシック&ロリータバイブルを愛読していたからだろう、憧れはするけれど私にはできない格好をしている彼女に一目ぼれをしたのだった。

 高校3年生の夏にアニメがスタートした。受験生だったので、アーケードゲームは受験が終わってからと決めていた。アニメを観て判明したのだが、プリパラ内ではクールなトップアイドルとして君臨するそふぃちゃんは、実は体力がなく家では常にボサボサの髪にジャージ姿という出で立ちで、声にも動きにも力がない(ファンシーモード)。好物のレッドフラッシュ(梅干し)を食べることでアイドルをやれているのだった。マネージャーや親衛隊のみんなはかっこいい「私」を望む。だれも本当の「私」のことは好きじゃない。そう思い悩んでいたところ、らぁらが「そのままのそふぃさんも好き!」と言ってくれた。みれぃが「最初の一歩は自分で踏み出すしかない」と喝を入れてくれた。そふぃちゃんの本当の気持ちを考えた親衛隊の手助けもあり、そふぃちゃんは勇気を出し、らぁら、みれぃとチームを組むという自分の希望を叶えたのだ。

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 自分のコンプレックスを受け入れてくれる友人に出会えたことでありのままの自分を尊重し、できないことには自分のペースで挑戦するという勇気を手に入れたそふぃちゃんのことが私はますます好きになった。

 レッドフラッシュのおかげでクールなキャラを作れるとはいえ、そふぃちゃんがもともと持っている才能は計り知れなかった。が、それだけではない。アイドルのマイナスな感情から生まれたボーカルドールのガァルルと初めて話したとき、歌やダンスが上手くできないガァルルの気持ちがわからずすれ違ってしまったが、体力がないという自分のコンプレックスを話して友達になった。ひびきに無理やりセレブフラッシュを食べさせられたときはその才能を十二分に発揮して「神アイドルになりたい」という普段は見せることのない闘志をあらわにしていた。ひびきに天才チームに誘われたときは、ひびきをもっと知りたい、自分のステップアップにつながるかもと自分の意思でその誘いを受けた。ジュルルが熱を出したときは自力でジュルルのためにミラクルピーチを収穫しようと旅に出た。アイドルタイムプリパラになってからは出番は少なくなったけれどゆい・にの・みちるを見守る先輩としての、そして神アイドルとしての風格があった。そふぃちゃんは才能豊かで、強くて、優しい、神様みたいな女の子なのだ。

 そふぃちゃんに恋をしてから約4年間、毎日そふぃちゃんのことを考えている。上手くいかなくてこんな時そふぃちゃんならきっとこうできるのにと落ち込んだり、自信がなくてそふぃちゃんになったつもりでがんばってみたり……。私の意識は常にそふぃちゃんと共にあると言っても過言ではない。

 

 プリパラとしての物語が終わるというニュースを聞いて、頭が追いつかなかった。アーケードはNintendo Switchに完全に移植されるらしいし、そもそもアイドルタイムプリパラだってまだ話数が残っているから終わったわけではないことはわかっている。けれど、毎週新たな魅力で私を惹きつけるそふぃちゃんにはもうすぐ会えなくなってしまうのだ。

 

 新たな場所でそふぃちゃんに会えないのは正直かなり寂しい。でも、私がそふぃちゃんを好きだという気持ちはずっと変わらない。そふぃちゃんに教えてもらった、ありのままの自分を受け入れる強さと、難しいことでも挑戦して自分のペースでいいから成し遂げる勇気を持って、鳥籠を壊して空高くを翔ぶ鳥のように生きていきたい。

 

 最後に今回のブログタイトルの元ネタとなっている、私の北条そふぃちゃんに対する気持ちが詰まった曲を紹介しておく。

【初音ミク】 僕は初音ミクとキスをした 【オリジナルMV】 - niconico

 

 そふぃちゃん、私と出会ってくれてありがとう。

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ホットミルクをもう一杯

 15年と約半年。彼女が生きた年数だ。15年というと、生まれた子が中学校を卒業するまでの年数で、私にはまだとてつもなく長い時間のように思う。しかし、彼女と過ごした時間を振り返るとあっという間だったような気がして胸が苦しい。
 訃報を受けたのは今朝のことである。iPhoneから鳴り響くアラームを止めるために7時過ぎに目を覚ました。弟からのLINEの通知があって、表示されている文がすぐには飲み込めなくて、どう返事をするべきかしばらく迷った。迷いながらも、とにかく実家に帰らなければと思い連絡をくれたことについて礼の言葉を打ちつつパジャマを脱いだ。幸い、水曜は講義が3限からなのですぐに実家に行くと弟に伝えた。身支度をしているうちにじわりじわりと彼女が息を引き取る時にそばにいられなかったこと、年老いた彼女の世話を家族に任せきりにしてしまったことなど後悔の念が押し寄せてきて涙がこぼれた。
 脱ぎ着が楽な割にかわいくてお気に入りのワンピースは12月の朝には不向きで、家を出て一瞬で足元が冷えた。けれど空はよく晴れていて、暖房の効いた電車内は少し暑いくらいだった。車窓から、太陽の光を浴びて輝いているおだやかな川を眺めながら、この川はなんという名前だったっけと話す老夫婦の会話を聞きつつ、彼女のことを考えていた。もういい年で、足腰もかなり弱っていたし、少し前から彼女の体調がかなり思わしくないことを母親から聞いていた。覚悟はできている。何度も話していた。それでも、せめて私がゆっくり帰省できる12月後半まで持ってくれることを祈り続けていた。生きている彼女をもう一度撫でたかった。
 乗り換えをする大きな駅まで弟が迎えにきてくれた。私を心配してくれたそうだ。ありがたい。そして、2人でたわいのない話をしながら実家へ向かった。
 実家のドアを開けるとすぐにかごに敷き詰められたタオルの上で目をつむる彼女と、母がいた。初め、私がすぐに彼女に会えるよう寒い玄関先に彼女を連れてきているのかと思ったがすぐに彼女の身体がだめにならないようにしていることに気づいた。彼女はいつも通り寝ているだけのようにも見えたが、決定的に違うところがあった。彼女は舌が長いのか、いつも口からあざやかな濃いピンク色の舌がはみ出ているのだが、その舌がすでに黒っぽく変色していたのだ。彼女は息を引き取る直前もしっぽを振り、弟が名前を呼ぶ声にも反応したらしい。反応して、そしてすぐに動かなくなったそうだ。母が声にならない声で教えてくれた。私は彼女のお腹のあたりに置いてある小さな花束(母が急いでスーパーで買ってきたらしい)を少しだけどかし、ゆっくりと撫でた。撫でているうちになんだか彼女の体がまだ温かい気がして、本当はまだ生きているのではないかと思った。しかしそれは私の体温が彼女の毛に伝わっているだけで、彼女が死んでしまったという事実は覆らない。母と、弟と、3人で寒い玄関で静かに泣いた。
 朝ごはんを食べてこなかった私はテーブルに置いてあった抹茶オレと母が用意してくれたよもぎ餅の入った温かいぜんざいを食べた。そして2人から彼女の最期の様子を聞いたり、近況を話したりした。リビングの、今まで彼女のケージやベッドが置いてあった場所はもう片付けてあって不完全な感じがした。猫も心なしかぼんやりとした様子だった。そしてまた、彼女がいる玄関先で3人で彼女との思い出を語り合った。彼女はとても食い意地が張っていて、なんでも食べてしまう子だった。チーズ、いちご、バナナ、スイカ、ぶどう、肉、氷などなど。猫が残したキャットフードをあげてもがっついていた。庭で遊ぶ時はよくわからない草も食べていた。これはお通夜だねと3人で笑った。
 彼女は父によく懐いていた。悔しいが、家族の中で一番かもしれない。父が仕事場へ向かった後、彼女は息を引き取った。最後に見送りをしたかったのかもしれないねと話して、また泣いた。
 昼前くらいに実家を出て、大学へ向かった。猫にはこれから私が年末に帰省するまで家族を、特に母をよろしくなと、彼女には今までありがとう、またいつかどこかでねと声をかけた。
 1人で電車に乗って、次に実家に帰ってももう彼女を撫でることはできないという当然の事実に気づき愕然とした。彼女は年を重ねるにつれ抱っこをされるのを嫌がったけれど、抱っこをしたかったな、でも嫌がることを無理にするのもよくないしな、と後悔に力ずくで言い訳をした。
 彼女は15年と約半年、幸福な生涯だっただろうか。小さくて、かわいい顔をしていて、とてつもなく食い意地が張っていて、プライドが高くて少し気難しいところもあるけれど、やっぱりかわいい彼女のことが大好きだ。彼女にもっともっとできることがあったのではと後悔でいっぱいである。もっといっぱい彼女が喜ぶことをしたかったし、もっといっぱい一緒に過ごしたかった。私が、ちゃんとした立派な大人になるのを見守っていてほしかった。
 未熟な家族でごめんなさい。でも本当に大好きでした。今までありがとうね。これからも大好きです。

かわいいと言われ続けている馬鹿と、かわいいと言われてこなかった馬鹿

 かわいいと言われ続けている友人がいる。彼女がなにかすれば周りはかわいいと叫び、彼女がわがままを言えば周りは彼女の機嫌を損ねないよう必死になる。彼女と行動していると、ああこの子はずっと甘やかされて育ってきたんだろうなと思う。

 そんな彼女が、本当の友達がいないと泣き出したとき、私は心底くだらないと思った。

 本当につらくて、講義中もずっと泣いていたのに誰も声をかけてくれなかった。後から声をかけないほうがいいと思ったと言われたけれど関わるのが面倒だったからに違いない、調子のいいときだけもてはやして、まぁ、それはそれで嬉しいけど。とにかく、うわべだけ優しくするみんなのことが信じられない。優しい人はきらい。

 なにを言っているんだこの女は。いい歳して公共の場で泣くようなやつになんて関わりたくないに決まっているだろ。ヒステリー起こしてるときに声をかけてくる人間こそが本当の友達なのだろうか。お前が機嫌損ねるからこっちは必死で優しくしてたのに。と、彼女が吐く言葉ひとつひとつに心の中で難癖をつけていた。他の連中は静かに彼女を慰めていた。馬鹿げた時間だった。これ以上深入りしたくなかったから、遠回しに今後の催しで私のことをハブにしたいと言われたときも二つ返事で了承した。

 

 これまでの人生でかわいいと言われてこなかったのが私である。私をかわいいと言ってくれるのは母親と恋人と、たまに会う中学時代からの友人くらいだ。その友人たちの中だって在学中に私をかわいいと言ってくれたのは一人程度である。だから私はずっと自分を女として欠陥だと思っていた。最近になってようやく「かわいくない」呪縛から解放されて、かわいいものが好きな自分を受け入れられるようになり、自分のかわいい部分を認めることもできるようになった。

 しかし今日、久しぶりに、周りにかわいいと言われないことが自分の中で引っかかってしまったのだ。人をかわいいと言う人に対して、私だって(その程度なら)かわいいのになんでかわいいって言われないんだろうと思っていらいらした。一度でいいから大学でみんなが言われてるみたいなかわいいを言われてみたい。社交辞令やお世辞のかわいいすら言われない私は一体なんなんだ。私ががんばって作ってきたかわいいはまったくかわいいではないということなのだろうか?

アイドルの接近イベントに行ったよ

 アイドルの接近イベントに行きました。検索よけのためほとんど実名を挙げません〜。

 

 もともと私が好きなアイドルは、すでにそこそこの知名度があって、まあまあ大きな会場をほぼ満席にするレベルなので接近はリリースイベントのときくらいしかありません。そのリリースイベントすら、東京会場だと抽選なのでCDを買った人が必ず参加できるというわけではありません(このことを知らなかったため私はこのアイドルのリリイベに参加できません涙)。

 

 アイドルとしてはまだ新人の「彼女」を知ったのは、某アイドルもののソーシャルゲームの、ボイス未実装だったキャラクターの担当声優が発表されたときでした。特別そのキャラが好きだったわけではなかったのですが、彼女の写真を見た瞬間、この子だと強く思いました。

 すぐに彼女について調べました。7人組のアイドルグループの最年少であること、メンバーカラーはピンクであること、私が春に観ていたアニメにちょっとだけ出演していたこと、小学生の頃に観たアニメがきっかけで声優を目指したこと、某アイドルもののソーシャルゲームが本当に好きなことなどをウィキペディアやブログで知りました。

 少し照れたような固い感じの笑顔と、ブログやツイッターの読みやすい文に強く惹かれ、この子を応援したいという気持ちがムクムクと湧いてきたのでした。

 彼女が属するアイドルグループは大体月1回くらいの頻度でオタク・ショップの特設会場でライブと特典会を行なっています。失礼な言い方になってしまうかもしれないのですが、私の周りで知る人はほぼいないようなアイドルのイベントに参加したことは1度もなかったので行くと決めてからもだれか一緒に行ってくれる人はいないかなとかなり心細い思いでいました。けれど、もしかしたら私の好きな曲のカバーが聴けるかもという期待と、今回女性専用エリアを設けているという情報に勇気付けられ結局1人でオタク・ショップへと向かいました。

 まず、整理券を手に入れるためにオタク・ショップ前に並んだのですが、女性はほとんど並んでおらず、正直心が折れかけました。周りの並んでいる男性オタクさんたちは皆何度もイベントに足を運んだことがある様子だったので、彼らの迷惑にならないよう細心の注意を払いました(つもりです)。

 ランダムに引いた整理券の番号順に会場に入ります。私はかなり遅い番号だった上、物販でグッズを購入してから客席(?)のあたりへ着いたので、すでにたくさんのオタクさんたちがステージが始まるのを待機していて、そもそも女性専用エリアがどこにあるのかすらいまいちわかりませんでした。どうにか女性専用エリアを見つけ、まだ私が入るスペースはあるかしらと伸びをして見ていると、女性専用エリア付近にいた男性オタクさんたちが無言でスッと道を作ってくれ、周りの他のオタクさんにも声をかけたりして私を女性専用エリアへと入れてくれました。古参(と思しき)の方々が優しくていい現場だなと思いました。

 会場が暗くなりライブが始まりました。彼女たちはオリジナルの楽曲が1曲しかないのでセトリのほとんどがアニメソングかアイドルの楽曲のカバーです。知っている曲が多かったので私でも楽しめました。現場慣れしているオタクたちはペンライトを振ったりコールを入れたり、会場を壊さない程度に小さく飛んだりして大盛り上がりでした。奥行きも幅もないステージは7人で踊るには少し狭いように思いましたが、7人で歌って踊れるようにアレンジした楽曲を精一杯披露する彼女たちはとても輝いていました。1曲だけ撮影可能の時間が設けられていて新鮮でした。

 ライブが終わると物販の再開と特典会の準備です。彼女たちの公演はもう10回以上行われているため仕方のないことではあるのですが、すでにオタク・コミュニティが確立しているようで、それが少し怖かったです。「新規の女の子ファンを増やそう!」と盛り上がっている女性オタクさんたちもいたのですが、そのわりにはどう見ても新規の私やその他何人かの女性には絶対に話しかけず、私も知らない女性オタクさんにいきなり話しかける勇気もないし……みたいな感じでそこだけちょっと残念なまま終わりました。

 特典会では私は2ショットチェキを撮ってもらいました。ライブを観ているうちにメンバーみんなが大好きになってしまったので(DD)迷いましたが、グループの存在を知るきっかけとなった「彼女」と撮ることに決めました。

 ソロの仕事が増えたからか、思っていたよりもハキハキと話してくれました。お世辞でもかわいいと言ってもらえたのが嬉しかったです。ちょろいオタクなので。初めて来たことと、先日放送された彼女が出演したアニメを観たことを限られた時間の中でどうにか伝えました。彼女のニコニコとした表情が本当に可愛かったです。手でハートを作って撮ってもらったのですが、彼女の顔がとんでもなく小さかったことが衝撃的でした。

 帰りはオタク・ショップの店員さんがランダムでメンバーのサインミニ色紙を渡してくれました。サインってこんなに簡単にもらっちゃっていいのかと驚きでした。

 

 慣れないこともあったけれどとても楽しい接近イベントでした。次回も行けたらいいなと思っています。