かわいいブログ

フィクションです

今日の日記5首連作

 

私いる必要なくない? 空腹の2人と1人で牛もつ定食

 


ここ赤いのでまだ混ぜてくださいと店員が言う 片言で言う

 


あっさりは嘘だと思う牛もつのあっさり炒めの油をすすり

 


終着がが見えない白米つまみつつマグロ漁船のこと考える

 


タピオカはゆでるものだと忘れがち奥歯にはさんだもつをほじくり

どうにもならない事があっても幸福な私を守ってあげる

 私は私と付き合いたい。私なら私を悲しませないし。私は私のこと好きじゃないけれど。

 何人も、何人も何人も、何人も何人も何人も何人も何人もの人に、まぁちょっと盛ったけれど、とにかく関わったほとんどの人に存在を消されて生きてきました。いつだってあなたの世界には私はいないことになっていて、私はそれがいやだと伝えたのにどうしたってあなたは私をあなたの世界に存在させてくれなかったね。そういうところが本当にきらいだよ。人間みんなきらい。あなただよ。あなたのことだよ。私のことは存在させてくれないのに、ほかの人のことは存在させるなんて、あんまりだと思わない?

 よく、私が見ている世界はぜんぶにせものなんじゃないかと思う。でも、もしかすると、にせものなのは世界ではなく私の方なのかもしれない。だって存在しないから。存在しないのが当たり前になって、もういいやと諦めてしまっていた。

 存在したい。何十年も先の未来で、まったく知らない人がいいなと思った文章の書き手が、私だったらいいなと思う。存在させてほしい。

 私は私と付き合ってあげられる。シャネルのマニキュアもケイトスペードスマホケースもアニエス・ベーのバッグも、買ってあげる。あなたたちがほかの人にはするけれど私には絶対にしないことを、私はなんでもしてあげる。でも存在を証明することだけは私一人ではできない。ごめん。例えばこうやって、感情と一緒に出てくる文章を他人に読んでもらわないと存在できないわけ。

 おやすみなさい。もう二度と、私を存在させなかったあなたたちが、私の世界に存在しませんように。

たんか

 ずっと出したかった賞に間に合わせられませんでした。

 

 

痰を吐く老婆の首が焼けていてうりのにおいがする西大井


盲目のアシカにじっと見つめられバナナみたいにやさしくなれる


詩を書いて暮らしていますあとたまに輪切りレモンをしゃぶっています

 

 

 おやすみなさい。

お前も私も、どうしようもなく人間

 目の前を歩く見知らぬオジサンと、私が同じ人間という種類の生き物だと思ったらどうしようもないかなしみに襲われた。人間でいることがつらくなった。オジサンはなにも悪くないのに(強いて言えば早く歩けるならはじめからもっと早く歩いてほしかった)、ごめん。

大学のトイレの個室で泣いてたら私をしばる呪いを発見した

 大学のある講義で、前期試験の範囲(というかこういうことを聞きますよ的な問い)を担当講師から口頭で伝えられた。何度か繰り返して伝えてくれたのだが、口頭ゆえに漢字の語義などの説明が入るおかげか今日の体調が最悪な私は文の最後までを書き写すことができなかった。わからなければあとで個別に質問に来いと聞こえた私は講義後、最後まで書き取ることができなかった旨を講師に伝え、教えてもらおうとした。

 講師の対応は私の予想とは異なっていた。私は、講師の「あとで個別に質問に来ないように」という発言を聞き間違い、質問に行ってしまったのだ。これは100%私の落ち度である。私は謝った。そこですぐに離れればよかったのだが、心のどこかで範囲を教えてくれるんじゃないかと期待していたのだろう、講師が私に投げかける言葉を聞き続けてしまった。

 講義には毎回ちゃんと出席したか? 出席していればすべてを書ききれなくてもなんとなくわかるだろう。他の人は質問をしていない、質問に来ないということはあなた1人だけみんなができることをできていないということだ。大学生なのだからちゃんとしてくれ。

 私はこの講義を今日までの全14回中1度休んでしまったけれど配布されたプリントは受け取っているし、講師の言いつけ通り講義中にスマートフォンをいじることも水分を摂取することもしなかった。毎月ランダムで行われる抜き打ちの出席確認の時は必ず記名をしてある。しかし100人以上受講者がいる教室で講師がそんなことを知るよしもない。私はもう1度すいませんと謝って教室を出た。悲しくてしかたなかった。

 女子トイレの個室は、私のように少人数、特に1対1でのコミュニケーションが苦手な人間にとって聖域である。私はそこでもう1度先ほどのできごとを思い返していた。鎮痛剤を飲んでも治らない頭痛と、めまいに加え心臓が苦しくなり涙がぼたぼたと流れた。自分のことながら泣くほどかと驚く反面、どこか冷静に「私だけが、みんなができることができない」と言われたことがとてつもなく悔しかったのだろうと思った。同時に、この言葉は昔から私をしばっていることに気がついた。

 私が怪しい精神科医発達障害だと診断されたことを抜きにしても、私は幼いころからとろかった。幼稚園の帰りのバスで周りが楽しそうに話している時でもバレエ教室の練習の時でも小学生のころに通っていた塾でも中学・高校に通う通学路でも眠っていた。親や教師などたくさんの大人たちから「あなたはやることが人より遅い」「どうして他の人はできることができないの」などと言われ続けた。がんばってやっても否定されるのが怖くなった私は、次第にがんばることが恥ずかしくなり、物事に真剣に向き合うのをやめた。まれに気が向いてがんばって、ほんの時々褒められても首を横に振った。本来なら、がんばったことを否定されたり結果が出なかったりしたら反骨精神とやらで今まで以上に努力して見返して成長していくべきだったのだろう。でも、私にはそれができなかった。自分は人より遅い、人ができることをできない、と周りの人間に言われた言葉で自分をしばりつけて行動を制限していた。だれかと関わる時も、私ってとろいからと先に自虐して逃げていた。人に遅いよとかできないもんねとか言われても笑ってごまかしていた。

 だれしも苦手なことの1つや2つくらいあるだろう。だからそれを過度に卑下する必要はなかった。できないことのなにが悪いんだくらい言ってやればよかった。そうすることを許せなかった、プライドの塊の私は、久々に「できない」ことを他人から強く指摘されて傷ついたのだった。そりゃあ遅いよりは早い方がいいし、できないよりはできた方がいいけれど、幼いころから周りと比べられすぎてしまった私の精神はうまいこと発達しないまま身体だけ大人になってしまった。

 そのことに気づくと涙は止まり、頭の中は妙にすっきりした。今から自分の性質を変えるのは困難だ。できない私はできないなりにがんばらなければならない。ただこれ以上私みたいな人間を作ってはいけないと思う。そんなことを考えて、周りの自分より年少の人々にいつもより優しく接した。

 

 先生、周りの人より劣っていてごめんなさい。でも私は改めて他の一般多数の人と少数の人を比べるような教育はしたくないと思いました。あとたぶん私の方が人にものを教えるのとか板書とかうまいと思います〜〜!!!

イルカをころした

 幼稚園・小・中学生のころ、よくうそをつくクラスメートがいた。彼女たちが悪意を持ってうそをつくことはほとんどなく、大抵は「私、イルカを飼っているの」とか「私はスイス語がしゃべれるの」とか、見栄を張るためのうそだった。

 

 イルカを飼っていると言っていた彼女とは幼稚園と小学校が同じで、幼稚園生のころに私にイルカを飼っている話をしてくれた。彼女が身につけているものからはいつも家族が吸っていると思しきたばこのにおいがした。

 私はべつに彼女の話を信じていたわけではなかった、と思う。それなのに信じているふりをしていた。いや、ちがうかもしれない。信じられないけれど信じたくて、そういうことをしていたのかもしれない。もうあまり思い出せないし、無理に思い出そうとも思わない。とにかく、私は彼女のうそに同調していたのだ。

 小学一年生になったばかりのときのことだ。小学生になりたてで給食で勝手がわからない私たちのために数週間、児童の保護者たちが配膳などを手伝ってくれたことがあった。その中には彼女の母親もいた。若くはないが、金色に近い明るい茶色の長い髪の女だった。私と彼女は出席番号が近かったため同じ班で給食を食べることになっていて、そこにもう一つ机をくっつけて彼女の母親も同じ班で給食を食べた。そこで私は彼女の母に言ったのだ。

「○○ちゃん家では、イルカを飼っているんですよね」

 彼女の母親は、初めこそ不思議そうな顔をしたもののすぐに「ああ、イルカのぬいぐるみのことでしょ」と返した。その日以降、彼女がイルカの話をすることはなくなった。

 

 彼女のうそをやめさせようというようなことは思っていなかった、と思う。ただ、ここで彼女の親にイルカの話をしたらどうなるだろうという好奇心はあった。結果、彼女の見栄をぶち壊すことになり、私は罪悪感でいっぱいになってしまった。

 

 彼女は恐ろしいほど勉強ができなかった。その上いつもたばこのにおいをまとっているのでクラスの男子からはあまり好かれていなかった。

 小学六年生のころ、私と彼女は何度目かの同じクラスになった。あるとき、席替えで私と彼女は近い席になった。算数の、分数の計算のテストが行われたときのことだ。公文式や中学受験用の塾、家庭教師のおかげで小学校の勉強でわからないことは特になかった私は、ふと彼女の空欄だらけの答案を見てしまい苦しくなった。なにか彼女のためにできることはないだろうか。そう考えた私は、担任の目を盗み彼女に答えを小声で教えた。男子にお前なにやってるんだよと小声でとがめられたが、やめられなかった。彼女は私が教えた、途中式のない答えのみを書いたテスト用紙を提出した。

 採点が終わった答案用紙が返却されたとき、彼女は担任に呼ばれていた。なにを話していたかは知らない。私は呼ばれなかったからだ。つまり、彼女は担任に私のことを伝えなかったのだ。担任は彼女が私か、他のだれかの答案をカンニングしたと思いこんでいるのかもしれない。私はまた、彼女に罪悪感を抱いた。

 思い返してみると彼女は私に怒ったことなど一度もない。怒ってくれればよかったのにとずるい私は思ってしまう。

 

 その後、彼女は地元の中学校に進学し、地元の定時制高校に四年通って、今は地元で働いているらしい。インターネットで調べた。

 彼女は私のことを覚えているだろうか。忘れていてくれたらいいと思う。私は彼女を一生忘れない。彼女の見栄と、自尊心をズタボロにしたことへの罪悪感を、一生抱きながら生きていく。

最後の夏(笑)

 今年の夏は「平成」という元号のうちにやってくる、最後の夏らしい。私が愛してやまないアホアホポンコツユルガバインターネットことツイッターでも「平成最後の○○」というキーワードはまかり通っていて心底うんざりする。

 私の物語の主人公は私だ。だから元号が変わろうがどうしようが、関係ない。2年前、私が20歳になるという事実のほうがよっぽど一大事であった。当然、歳を重ねることだって元号が変わるのと同様に生活が激変することはないということはわかっている。それでも、当時19歳の私は20歳になることに恐怖と焦りを感じていたのだった。

 私は毎年夏が本格的に始まるよりも前に歳をとってしまうので、10代最後の夏というものは同時に10代最後の始まりという意味もはらんでいた。とはいえ、1年後をはるか遠い未来のことのように思っていた私は10代最後の夏を特別意識することはなかったような気がする。20歳になる自分が想像できなかった。大人になってしまう自分を想像したくなかった。ただ毎日、先に大学に進学してしまったかつての友人たちの世界が広がっていっていることに対して、早く自分もなんとかせねばとじれったく思っていた。

 20回目の誕生日を迎えてから早くも2年が経とうとしている。環境や周りにいる人たちは変化したものの、私の根本的な考え方や感じ方はそんなに変わっていないように思う。たぶん14歳の、毎日なにかと戦っていたころと同じ気持ちでこれからも生きていくのだろう。最後の夏とか本当にどうでもいい。もううんざりだ。なにも終わらないし、なにも始まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……来年「今年はモラトリアム最後の年だ!!!」と1人で騒ぐブログ書きそうで嫌だな、来年までこのブログやってるか知らないけれども。とにかく、エモーショナルな薄っぺらい言葉に踊らされず、集団心理にゲロを吐き続けたいですね。